冬の形

もう私には訪れないのだろう、と思う
心臓を押しつぶすみたいなときめきも 足を縫い止められたみたいな衝動も 温かな胸 爪の形を覚えるほどの時間も 生え際の癖も だって 一度だって寂しかったことがない

静かな夜 雪はたいていが美しい
空気は冷たく 己の呼吸は湿度を帯びていて 星だってかがやく

おのれの孤独の輪郭を冬はかたどって飾る
きれいだね

ふと髪をかき上げたときの額のぬるさ 光にけぶるまつ毛とか 喉に詰まるような恋が 諦めや悲しみに変わることすらないのだろう

冬はなんだって飾る ありがとう 
さよならがよく見える 

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わたしの話をします。
もうすぐ34歳。ここ高校生から書いてるのちょっとこわいな。連綿とわたし。
お正月は本を色々たくさん読んでいました。和山先生の本を読んでいて、恥を捨てて書きたいのだが、なんかもう、恋とかしないんだろうなって思いました そんなことはない人だっていっぱいいるけども今までだってたいしてしてないし。
この後どうやって生きても、人生めちゃくちゃにされそうな人には近づく体力ないもんな、という。もう少し私の人生めちゃくちゃにする気概で私のことを好きになれよ!と思ったことを思い出し、それも踏まえて。

わたしの大好きな先輩がいなくなって少しして、ご両親に他愛無い質問をされて答えたとき、二人がほっとすこし安堵したように見えて、それが不思議だったんだけど、あれは、わたしが同性の恋人かもしれないと思われていたんだなと、やっと思い至って。すごくすごく遠回りして聞かれていたので、もしわたしが恋人でも十分に尊重されていたなと思う。安堵は同性の部分ではなくて、おそらく恋人の部分にかかっていたから。全てが終わったあとだったからね。

会社は相変わらず辞めたいし、仕事は辞めたくない。
お金はもっと欲しいし、物はもっと少なくしたい。

親しくないと見られない景色というのが純然とあると思うのだけれど、そういうものが己の人生にあまりにもなくて うらやましいような 私は私で私としてしか生きられない生き物だしな 困ったね
人生何年生きるつもりなんだ、私は。
冬ですね 北海道は一番美しい季節です 

骨壷を開けようとしたことがある
織物の分骨袋と呼ばれるもので 何か封がされているわけでもなく ただ紐で寄せてあるだけのもので
不在に耐えられず その骨だけでも見たかった し おそらく持ち帰ろうとしていたと思う 自分のことだけれど、分からなかったけど

逡巡して、ぐ、とわりと強い力で袋のとじめに手をかけたら、私の想像の10倍くらい固く閉じられていて、ぴくりともしなかった

その瞬間泣きそうになって
そっと手を離した

自分の願い事をして石を持ち上げて、自分が思うより軽かったら叶う、重いと叶わない、みたいな石のことを思い出して、何よりその骨になってしまった人にやめな!と強く、強く止められた気がした。 
だって一ミリも緩まなかったんだもの。

涙がでてきて、お堂の中で謝って、そのまま帰った
誰もいなかったし、監視カメラもないし、開くまで手をかけることはもちろんできたけど、しちゃいけないんだと思った。私には、許されないんだな、と。誰に許されないかもしれないけれど。
今は綺麗にお墓と、実家のお仏壇に納まっている。

8月はもう、私にとってはそれだけの季節だな。

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仕事を辞めたい気がする。分解するとそれは真実ではないし、仕事自体を辞めたいと思ったことはない。この環境と働き方を続ける元気がもうないな。と思う。

手放せない理由の方がまだ多いけど、それごと全部捨ててしまいたい気持ちになる。

家族も、ずっと連絡をとり続けてきた友だちたちも、全部閉じてしまいたくなる時がある これはきっとたいていの人類はそうだろうけど

孤独が得意なことと、自ら孤独になろうとすることは違う。
後者はあまり健康ではない気がする。

台湾があまりに良かった。またすぐ行きたい。
猫がいなければとっくに休職でも退職でもしていたかもしれないな。それも含めて先輩の采配なのだろうな。そうか、そうだったのか。

そうだったのか…。

「 」、
こぼれ落ちるように思った
陽炎が風に吹かれて消えてゆく、ような錯覚

いつか歩いたことが あなたと歩いたことが、繋がるのが間違いなく未来なのだという直感は 死の予感と同じもので 

まちがいなく、胸のあたりにある衝動のような重いかたまりは 指先までくると煙のように変わってしまう 
いつも 自らとあなたの間にあるものは ふと吹いた風で無いのと同じことになるようなものだ

1000年後、あなたは失われているでしょう いいかげん 失われているでしょう 変容の果てに

言いたいことがあるような気がして、肺をひとつになるくらい握りこんでも、いつも言葉には変貌しない

あなたに言いたいことがあるんだ
たぶん 今は言葉にならないけれど
1000年後にはもっと分からないだろうけど 灰色の夕方 たなびく言葉だけ
だれもかれも失われていてね 

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お久しぶりです。
転勤をしました。ことばを、文字通り自分の心のうちを煙を掴むように指先からタップに変えていたのですが全然すばらしくない回路を通ってがたがたいいながらとりあえず書きたいということだけで書いてしまいました。

転勤は二度目なので前回よりはマシなのですが新たな状況と課題で、難易度は前より低いのに苦手分野、みたいな気持ちです。でも時間が解決すると知ってしまったので、自分の疲れとか苦痛とかも味の知ってるものみたいな感じです。しんどいけども。
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野付半島。二度目。何度行ってもほんとーーーにすてき。世界の果てがこんなならいいな、と思う
しずかで、さびしくて、うすぐもりで、淡くて、さびしくて。何度も行きたい。そういう場所には出会ったことがないのですが、そういう場所です。
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私は寂しさがあまりない人間で、でもたぶん激情家で たぶん孤独と自分だけで仲良く生きていけるのだな、と気づきつつあるのだけれど
その中で己の気持ちとかことばとかが「情動」というような、エーテル、も私の中では好きなイメージですがもやのような煙のような蠢くもののような形をしているように思うことがあります 

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いたのに いなくなったひと も煙のようだと思うし 人と交わす関係も煙のようだし 私の感情や言葉も煙のようだし と書きながら思いました
文章を書くのすら久しぶりだからかな。
ここは、そのとき思いつくまま、指のおもむくまま、書こうと思っているのだけど、自然とそのとき脳の中をぐるぐるしてる言葉にすらならないものたちを少し引っ掛けてくるので書きながら自分でへーと思います

元気です
2年間、喪失にまだ足をとられながら ですが

秋の花火

さよなら と何度か言った
本当にさいごのときには またねと言った

毎日が、残っていた余白を少しづつ塗りつぶして その色が存外美しい瞬間があって 
そのときスイッチがパチンと切れるように、夏が夜になってしまう

誰が余白を塗りつぶしているのだろうか 帷が降りるかのように
私だろうか 時間だろうか

秋だけれど冬の気配の方が強い夕べに 遠くで花火が上がっていた
夜も夏も遠くて 誰があげているのだろうかと思った こんなにかなしい気配の花を どうして まるで供えられるかのような花を

あなたも見ているだろうかと かすかに思った

さよならを言った
いつかどこか遠いところでたしかに言った
でも さいごのときはまたねと言った ただの偶然の中で 私はずっと手を振っている

花は供えない 

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秋の花火は夏の花火よりも、許すものが多いと思いませんか。
イレギュラーなものの方が、内包する余白が多いといえばいいのか。

時間が流れていて 私はただ毎日 後ろに歩かないように しがみついてその場でうずくまる体力しかない と思います
後ろに歩いていいのは私も知っていて、そういうことではなくて、私は失ったその瞬間から、一ミリでも動いたら、こぼれるようにさらに失わねばならないのだということが、嫌なのだと思う。

まだ、誰かに話そうと思うことはあるけれど、話したいとは思えなくて、話せません。
目が覚めたら泣いていたことがあって、私はそういうことがあまりなかったので、自分に驚いたりしています。

なんかメソメソぐずぐずしているように見えると思うのだけれど、毎日ご飯はおいしくて、毎日よく眠れています。

仕事で転勤することになって、
生きているというのは、常に引き剥がされるように歩まされることでもあるよな、とも思う
それに従うかは 心がどこにあるかは、また違うけれど

遅ればせながら、
あけましておめでとうございます。
ずっと見てくれている方、本当にありがとうございます。
わたしには、ずっとこの場所が必要なのだと思います。
今32歳です。16歳だった私は、ずっとここにはいないけど、たまにいます。

ハレーション

夜空が意味を失って あらゆることが二面性しか持たず 裏返るのを待っている

朝が来なくても夜はずっとあって それは本当は私が生まれた時から決まってる
夜があるから朝があるのだと言っていた私が死んでしまった

泣きながら生きるほど 君のことが好きだったわけじゃない
道路の隅に落ちている 8月を通過した私

世界が広ければ広いほどいいな どこかに君のいる余白があるかもしれない

きらめいた音楽 ひとつも知らない君の小学生だったころ
それらはずっとずうっとそのままでいい ずっと勝手に佇んでいればいい 

夜空も8月も失われた余白だらけの世界 どこにもないね どういう種類のやさしさも 命の質量には敵わないって決まっている 

私の心は 君の住処じゃないのよ 


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誰にも言えない。
最近ずっとそう思っていて。誰かに分かって欲しいと思うことがあって、でもそれを打ち明けられる人が見つからない。きっと、あなたもあなたもあなたも、話を聞いてくれて、正しい言葉をくれて なんなら似たようなかなしみをきっと 分け合ってくれるのだと、分かっているのに 苦しくてでも誰とも分け合うことのできない思いのようなもの。
を抱え続けていて それは間違いなく苦しいのだけれど もしわずかにでも受け取り損ねられてしまったら 私はいよいよ立ち上がれなくなるのではと 思っているのかな。違うかも。
私の覚悟が足りないのかもしれない。それを吐き出した瞬間、またひとつ終わってしまうからかも。
かなしみや苦痛にさえ、執着しているのかもしれない。

私は小さいころから「いつか死ぬ」ことが、おそらく「怖く」て、
いつか死ぬことを受け入れる方法を見つけるためにたぶん生きていて、でもまだ見つけられない。

生きることはいつか必ず死に裏返る。そういう結末みたいな白黒に全てを落とし込むことは たぶん間違っているのだと思う。
でも今は そういう 結局、みたいなちょっとやさぐれた気持ちなのだと思う。

元気はないです。でも元気です。

最後の夜

あなたに触れたのはいつが最後だったでしょう 最初だったでしょう

触りたくて触りたくて触りたくて
触れないから ただ光に目が眩んだようなふりをして 触れた額と髪の乾いた感触を 覚えている
もしかしたらそれは記憶ではなくて
わたしの願望とすり替わっているのかもしれないけれど

たいていが雨で
おたがいがたいていずぶ濡れで

濡れそぼって寄り添うみたいに笑って 誰も傘をささなかった 
それが一番ただしい形だって

擦り切れるみたいに生きているように見えたから 私も心臓をすりつぶすみたいにあなたを好きでいた 
それも、わたしの願望が見ていたものかもしれないけど

お互いが見ているものを重ねたこともなかった 何色だったでしょう
わたしは あなたから 何色に見えたでしょう
どんなふうに 生きていたのでしょう

あなたに触れなかった最後はいつだったでしょう

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あまりに 人生を変えてしまうような出来事に遭遇し、言葉を一度全て失って、でも、ここにだけは書こう、と思っていました。

書こうとしてはくずれおち、書けないまま 年が明けてしまいました。

それでも書こうと思っています。
自分のために。

その前に現実逃避的に書きました。
もうすぐ31歳。子どもだ…。

気軽に消えたくなっては持ち直す、みたいなことを繰り返しています。
メンタルはつよい方、というか割り切れる方なのですが情念が強いので方向性をもつとどんどんいってしまう

元気です 8キロやせて3キロ太りました

そして

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
ずっと、長い間、ここを見てくださっている方ありがとうございます。

17歳の群青

青に 何かを託すことはできても
他の色に 何かを託すことはできない

ひどい暴言だねと鼻で笑ってくれ

喉から声になった瞬間に、全てが決まってしまうような、そういう言葉がどこかにあって その気配を目に入れるたび 毒薬を飲んだ心地がする

君のことばかり書いていたよ 三十年

青を燃やし肉を燃やし温度を燃やし
最後のさいごに骨に灯ったちいさな火をずっと抱えてきたみたいだ 

燃料は青い 骨は青い 群青だけを燃やしてきたんだ ずっと ずっと
肺を引きちぎるように 

どこにもない場所があるなら 
そこにたどり着いたとき 青い炎がそっと燃えている そういうことはなくていい なくていいんだ

群青だけを燃やしてきたんだ


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書こう書こうと思っている間に30歳になってしばらくたっていて
数個前の記事で27歳だといっていてたまげた たまげたのでいいかげん備忘録程度に書かねばと思えたのでお風呂でふやけながら書いています。

北の国に住んでいるので頻繁にバーベキューが行われて、炭に火をつける(炭を起こす、といっている)のをかなり日常的にみかけるのだけど、
炭に火がつくまでのなかなかの時間、毎度毎度「骨に火をつけたらこんなふうになかなか着火せず、燃え始めるとぞっとするほど赤く、美しく燃えるのでは?」と思う

炭の赤ってすごくないですか。純度とか、色とか、燃えるというか発光?みたいな。語彙が死んでいますね。
炭って木の骨みたいなもんだもんな、とも思うし。詳しくないです。

なんかたまげて書きはじめたのでまとまりのない言葉になってしまったのだけど、不時着しないで書けたなーって思うのは10回に一回くらいなのでいいですかね。

最近の話としてはタイのドラマにハマって元気にやっています。あと健康に生きるためにいい加減平均体重にしよ、と思えたので体重を落としています猫も元気です

詩集を今年こそは出したいです
見積もりだけだしてる 中身はまだない でも死んだら一緒に燃やしてほしい。
私にとってわたしのことば、というのはそれくらいわたしで、わたしのいのちに近しいものなのだと思う わたしだけの。

生まれて30年だけれど、群青色に執着し始めてからは13年程度。そう思うと大したことないな。遠くまでいけます。

背骨の島

圧倒的な背中 わたしがこの世で一番 美しいと信じた背中。
わたしが繰り返し思い出し、唱えるように思い返す。全てを押し流すような、圧倒的に、美しく、振り向かない背中。

「背中っていうのはさぁ、頸椎と胸椎と腰椎も少し、あっ肋骨も少しと肩甲骨と、もう背中の筋肉全部のね、総合芸術なわけですよ」
そう言って、急に筋肉の名前は曖昧なんだなと興味なさげな声を上げる人の背を、5本の指を思いっきりすみずみまで伸ばしてからパシン、と叩いた。
「いたいよ」
その人は不満そうに振り返って、下まつ毛といっしょくたになるまで伸びた黒髪から半眼でこちらを見る。
「叩いたからねぇ」
痛みというとはじめに肉の痛みを想像するのだけれど、骨を犯す痛みというのは肉に及ぶそれより痛いらしい。たぶん、圧倒的に。
「あんたのさ、その背中フェチ?なんなの?どこで目覚めたわけ」
「きみはいつも興味がないことを知りたがるよね」
大学の空き教室の机の上に段違いに座り、わたしは見下ろして言った。
「なんで」
「なんで?」
意味をはかりかねて問い返す。
もともと眇めていた目をさらに細くして、唇を少し尖らせる。
「なんで興味ないって決めつけんの。いや、ないんだけど。そう、だからなんで興味ないって分かるんだよ」
「わかるよそりゃあ」
わたしは靴のまま机の上であぐらをかこうとして、さすがに気が咎めたので足を組む。下の段に座る人はまだ訝しげにこちらを見上げている。
「だってわたし、背中フェチなんだよ。きみの背中を見ればもう、分かっちゃうわけ。雄弁なの、背中っていうのは」
「そういうことを聞きたいんじゃない気がする」
「わたしにはそれ以外答えはないけど」
「女ってみんなそうなの?」
根拠があるように、まるで科学で証明されてるみたいな言い方するだろ、と目を細め、唇を尖らせ、美しい背中を丸めながらこぼす。
「そうだよ」
そんなわけないだろ、と、どちらを言おうか一瞬考えて、わたしも目を細めて少し笑った。
どう答えれば、きみの心に少しでも歪に残るだろうかと思った。でも残らない方がいいなと思った。歪だっていうのは、宝石とか、よく光るものに似ていると思う。骨は光らない。
「ふーん」
「きみにはずっと、毎日その白いシャツを着て通学してほしい。背中がすごく綺麗に見える」
「なんか気持ち悪いんだけど」
「それでわたしだけでなく皆幸せになるかもしれないよ?」
「うちの大学を背中フェチだらけにすんな」
「それもそうか」
とまた背中を思い切り叩いた。
「まぁ好きにして」
言いながら机から降りて、今日話し始めてから初めてほんの少し諦めたように笑った。
「言ったな?めっちゃくちゃ見てやるからな、めっちゃくちゃ」
「圧が強い、圧が」
「当たり前だよ」
3回目は、べしん、と強く叩いた。

骨を、骨を知りたかった
きみの骨にわたしの骨がぶつかり、ひどく痛めばいいと思って、何度もきみの背中を叩いた。

生きているから、きみが生きているからその肉と皮膚の走る背中は美しくて、美しくて美しくて、でもそこに潜む骨をわたしは欲しがったんだと思う。きみがいなくなったとき、その背骨のひとかけらをわたしは幽霊みたいに欲しがるんだよ。

きみの背骨がひとつほしい。
きみの背骨がひとつほしい。

そう心の中で唱えながら、きみの背中をいつも見ていた。


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小説を書こうと思って書きはじめたけれどなり損なって空中分解した。わはは。

骨をもらう、というのはその人と圧倒的な御縁がないともらえない、ということと、
その人が地上から消え失せなければ発生しない、ということと、
生きていても必要で、死してなお残るものであるということと、
人を文字通り形づくる基礎であるということと、まだ書き足りないけどたくさん、たくさん、託せるものがあるなと思う。

ここをずーっと見てくれている人は私がいかに背中に(背中という概念か?)に多くのものを託して祈るように生きてきたのかを嗅ぎ取らせてしまったやも、と思うのですがそれは真実に近いものだと思います。いや真実。

骨って生きているとむき出しでないから、骨は死に近いよね。限りなく。
死と同じもの、とまではなんか言えないけど。

BGMは菅田くんとあいみょんさんのキスだけで、という曲でした。

大好きな文字書きさんと骨充をしていて、ずっと骨とは…?と考えていたので書きました

楽しかったテンションがすこし香っていませんか。
いないか。

私も骨を欲しがりました。

夜を持ち寄ってやっと触れることができる

こみ上げる愛しさの中に混ざる暴力的な衝動を飲み込んで 君を甘やかす
そういう欲望のこと

君と会うのはいつだって夜だった
月の明かりも美しかったことはなくて
不規則な街灯のオレンジ

ふらふら歩いていれば なんだか邦画のどうしようもないワンシーンみたいだなぁって ひらひら笑った

ぽつりと君に触れる

それだけで、百年生きていけるような瞬間が確かにあって
衝動のような記憶が きっと僕を本当に百年生かすのだろう

美しかったことなんてなかった
それでも僕には十分な愛だった


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宝石はする減る。
すり減るだろう。すり減っている。

心臓にものすごい量の衝動というのか、言語化をはなから諦めてしまうような感情の質量が流れ込む、というのか、そういう瞬間を反芻して反芻して、約束なんてなくても百年生きられるタイプのホモ・サピエンスなんですけど、ホモ・サピエンスというか、人間、なんですけど、インターネットをしているとそういう人はわたし以外にも存在していて

それに胸をなでおろす瞬間もあったりします

夜に多くのものを託してしまうのは人間の所業なのだと思いますが

綺麗な思い出からは何も失えない、というのが私がなんとなく29歳になって気付いたことかなぁと思います。

べつに誕生日とかでないけど。

他人と関わることを平均よりサボってきただろうな、という自覚がある。あるので、あるので。
困ったね。

君のせいで歌を歌った

半月ずれて巡ってくる季節のせいで
春に気付くのが遅れた

春だからってなんだっていうんだ
凍った土がゆるみ ぼんやりとした生命の気配に追い立てられる

このまま生命に押し出されどこまでもいって消えてしまえたら

自らと紐づく生命の多さと
自らをかき乱す生命と存在の煩わしさ
その間にある違いは
君の歌う歌のほんのわずかに外れた音みたいな ものなんだろうけど

ねぇ

野に緑が宿り花咲くと空は晴れていなくても晴れていそうだから
春が来るっていうのはそういうことだろう

そういう気配に生かされていることへの殺意

君のせいで僕も歌を歌った
何度も 同じ歌を


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季節が4つだというならその4通りを順番通りに過ごすのならそれは1通りっていうことなんだけれど季節とか時間というのは瞬間の重なりであったりして
そのことは何年生きても正直あまりピンとこない
は、と気づくとどうしようもない堆積が目の前にあることがあったりはするけれど

生き物が死ぬことばかり毎日考えている 仕事とか関係なく 私はそういう人間なんだと思う

誰と会っていても、あぁこの人は明日死ぬかもしれないんだったなぁともしかしたら失礼なことを思っている

自分もそうだけれど

私のそういう思考は死への恐怖の片鱗みたいなものなんだと認めざるおえないなぁ

生命に押し出されて死にそうだな、と思うのは夏ですけれども

この写真は一年くらい前の春の終わりだと思います

あいも変わらず他人と関わることとは?みたいなことをこねくりまわしているようでいてどうでもいい気がしてしまいたいして考えてもいないようにも思う。

人間とそれ以外という考えが便利だけど採用してもいい思考なのかいつも悩む

春がはじまりましたね