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少し前、とても驚くことがあったので、書いておきたいなと思います。
もはやというかただの、私の思い出と、気持ちの整理のために。

何日かかけて、この文章を書いていましたが、だんだんと分量が増え、支離滅裂に磨きがかかったので、この辺りで。

私の大学とか、色々分かってしまうかもしれませんが、本当に昔からここにきて下さっている方はもうご存知のことと思いますし、そっと、流して頂けたらと思います。

私には大学のゼミに入って、入ってから、ずっと育てていた牛がいました。

私がゼミに入ってはじめて担当した大人の牛から、帝王切開で生まれた双子の片割れの雌牛です。
双子だったことで、メスだけれども染色体にオスが混じってしまい生殖能力もなく、発育もあまり良くないことが分かっている産業的には一頭500円になればいいような、価値のない、牛でした。

母牛が重い病気でしたが妊娠していたので、母牛の命を助けるためでなく、子どものために延命を続ける日々でした。そんな中、母牛がいよいよ危なくなり、予定日よりかなり前でしたが帝王切開をすることに。

母牛は息も絶え絶えで、お腹の中の子牛の命も危ぶまれる中、なんとか子牛を取り出しましたが、片割れのオスは助けることができませんでした。
オスならお肉になれるので、繁殖できないメス子牛だけが残り、もったいないなぁ、という話にもなりました。

でも何より、血液検査の結果も容体も生きているのが不思議なぐらいで、何日もエサも口できず、しかも双子で何倍も負荷がかかっていたはずなのに、子牛はきちんと成長できていたことに驚きを隠せませんでした。

母牛はなんて強いのかと、こんなになってまで子牛を生かすのかと、涙がでてきたのを良く覚えています。
この牛は自分がただ生きるためでなく、子牛のために苦しくても、痛くても、ただひたすら子牛を育てていたんだなと。
生き物なのだから、自分が生きるために妊娠を継続できなくても不思議ではないのに。
だからこそ、なんとか子牛を助けねばならない、と思いました。母牛がこんなにも生かしたのだから、正に自分の命と引き換えに。

先生からは厳しいかもしれないなと言われながら、それでもできることをやってみような、気を抜くなよ、と言われた言葉に、頷きました。

生まれてきた彼女はとても小さく、正常な子牛の半分の重さしかありませんでした。
もちろん立つこともできず、ミルクも本当に少しづつしか飲めませんでした。
(動物を擬人化するのは少し抵抗がありますが、私と彼女はお互いを区別できていたと思うのと、私にとっては特別ないきものだったので、そうします)

先輩と二人で、2時間ごとにミルクをやる。夜も病院に泊り込み、真冬だったので寒さ対策や、肺炎や下痢にかかる可能性も高く、毎日気を揉んでいました。病気を運ばないよう、一日に何回もお風呂に入ったり着替えたり。

とても眠くて体力的に厳しくて。はじめて担当する、とてもとても弱い、生まれたばかりの子牛でした。


何日も生死の境をさまよい、それでも少しづつミルクを飲むようになり、一週間程度で自力で立てるようになって、メー、と鳴く、とてもかわいい牛でした。

その後、努力も虚しく、下痢、肺炎、とあらゆる病気にかかり、(ギリギリ外界で生きていける早産だったので、体はとてもとても弱かったのです)
それでも先生に見捨てられることなく、病気がちだったので他の牛のようにはいきませんでしたが、少しづつ大きくなってくれました。

というより、病気にかかりながらも、何故か元気とがめつさだけは誰よりもある牛でした。

少し大きくなってくると、ミルクを減らし草やペレットをたくさん食べるようにするのですが、その草やペレットを中々食べなかったので、食べるように毎日細かく切ったり、何度も口に入れ、吐き出され、また口に入れ…その連続でした。

それでも私の後ろをずーっと付いて歩く、自分のことを人間だと思っているような牛でした。だから、彼女にはよく話しかけられたし、文句も言われたように思います。

どんなに可愛くとも、どんな犠牲を払って生まれていても、お肉にもなれず妊娠もできない牛はどこにも居場所はありません。大学なので、実習用に飼うことがなんとか許されている毎日でした。
でも彼女のような小さく、体も大きくならず、病気がちな、そういう価値のなさでいえばとてもありふれた牛は、大学にはたくさん居たのです。
そして、そういう牛は日々いなくなっていくのが常でした。

誰の命をいくつ引き換えにしていても、そんなものは今そこにあるものに、何も関係がない。

いつ先生にドナドナされるのか?と思いながら半年が過ぎ、毎日彼女と話し、私も先生に彼女の話をよくしました。周りの同期にもどうやったら大きく育つのか?などたくさん一緒に考えてもらいました。

先生は私があまりに必死なので、先生の善意でこの牛で勉強しろよという意味で私のためにこの牛を飼わせてくれているのだな、と言葉には出さないものの、背中で言ってくれているような気がしました。勝手に。

私が節目節目でこの牛をどうしようかと相談に行き少し言葉に詰まると、私が言い出さなくていいように先生が先に、いやいや、飼っていていいんだよ、と言ってくれました。

この牛に関して、私は先生にありえないほどわがままを言い、実習用の生き物として本当にたくさんのことを許してもらっていました。

私がこの職業で必要なことの殆どを、彼女から学んだと言って過言ではありません。

牛の一生がいかに奇跡の連続であるかを、毎日会う度に噛み締めていました。

元気に生まれてくること。
先天性の異常がないこと。
元気に育つこと。
妊娠して、子を生み、乳を出すこと。

あらゆる点で、彼女は躓く存在でした。全て産業動物としては必要で、全て彼女にはなかったことです。

私には本当に彼女がいとしく、かわいく、かけがえなく、どうしようもない、生き物でした。

一歳を迎えても正常な牛の体重の半分程度しかなく、それでも少しづつ大きくなり、それでも彼女の居場所をきちんと見つけてあげることができず。

ただ私は先生と、彼女が生まれたときに、生まれた瞬間から、恐らく発育不良になるだろう、と予想できたので、少しでも大きくして実習用としてずっと残っていけるような牛にする、と約束をしました。

大きく育ててあげられれば、実習用として居場所を作ってあげられるのだと。

それでも産業動物である牛をペットのように可愛がり、大事に育てていたので、周りにペットだと揶揄されることもあり、私自身もペットだと、開き直って口にしました。
でなければ彼女を生まれてすぐに殺してしまっていただろうと思います。
牛を一頭飼うのはただではないからです。
ペットのようにしか飼えなくても、それでも私が彼女から教えてもらうことがたくさんあったので、飼っていられたのです。

でも実習用の生き物だから、とどこかで線引きが必要で、ありふれた存在でなければならなかったけれど、それでも私にはどうしたって特別な生き物でした。
そして苦悩する中で言われた言葉が、

あの子は、とてもとても弱かったから、あなたがペットのように、つきっきりで、育ててあげなければ死んでいたんじゃないの。産業動物だからと突き放したら、少しも大きくならなかったんじゃないの。生きてもらうためには、ペットのようにしか、育てられなかったんじゃないの、と。

そうならいい、と思いました。

私以外の人間が担当していれば彼女はこんなに長くも生きず、大きくもならなかっただろうと、言い切れるぐらいには私はできることは全てやったと思っています。

彼女を生かすことに理由があったのか。


それでも何度かのドナドナの危機を乗り越え、それでも私が育てた牛だから、私の卒業と同時にお金がかかるだけだと言われても、せめて、せめてお肉にしてもらおう、お肉にしよう、と思っていました。

ただ勉強のために殺すのは、どうしても嫌だったからです。
どうせ勉強だと言うのなら血や肉となってもらう方がいいと、それが私がかけた気持ちと、わがままの、ギリギリの落とし所だと思いました。
ただ殺すだけならば、この牛でなくたっていい、と思っていたのだと思います。

そんな中、色々な事情から、私の知らぬ間に彼女はどこかへ出荷されてしまったのです。

それを数日たって知り。

彼女が出荷されたという日、夢に彼女がでてきたのです。
私の夢に彼女がでてきたことは殆どありません。
なんだか変な感じだなーと。ざわざわするなと思っていたら、出荷されていて。

あの子は牛なので、色々、本当に色々、仕方がないし、たくさんのわがままを通したし。それでも最後に会いたかったなぁーと思い。

なんだかあっけなくて、その知らせを聞いても涙もでませんでした。

ただ、少し考えて、あぁ、会いにきてくれたんだなぁ、と思いました。最後に。会えなかったけど、会えなかったから、ちゃんと、来てくれたんだなぁ、と。

ひとりで泣いてるんだろうなぁと思う。たぶん。

夢の中で彼女はすごく怒っていました。
何かを訴えていて。嫌だったんだろうと思います。苦しかったり、単純に不快だったんだろうと。
しきりに私の方に何か怒っているだろうことを言っていた印象だけがある夢でした。

本当に嫌なことがあって、生命の危機を感じて、それを私に伝えにくるなら、そうだろう、そうだろう、と思いました。

彼女は間違っても、無言でおとなしく、自分の運命を悟って泣いたりしながらトラックに乗るような牛ではなかったので、私が最後に見た彼女が怒っているのも道理だなと。一番嫌だったことを、私に言うなら。

私が遠くから名前を呼ぶと、ぴゅん!と立ち上がって、何処からともなく走って来た。
私の足音が聞こえたら、立ち上がってこっちをみて、鳴いた。
名前を呼んでも鳴いた。ちゃんと。

子牛は大概メーメー鳴くけれど、半年もすればちゃんとモーモーなくのに、ずっとメーメー鳴いて。

遠くにいても、ちゃんと名前を聞き分けて、声を聞き分けて、走ってきた。
私が苦しくて、苦しくてどうしようもなくてそばにいったら、いつも食い意地を張っているのに、ご飯を我慢してずっと私の服を舐めていた。
頭の悪そうな、エサのことしか考えていない間抜けな顔をしてた。

ぺろ、と舐めてから、遊んでほしいと言った。

私の膝をまくらにして寝た。本当に牛だろうかと思った。ブラシが大好きだった。

何よりエサが好きだった。

私の2年間の全て。

本当は彼女を就職先まで連れていき、お給料がでるので、土地を借りて建物を建てて、水を引いて、飼おうと思っていました。
殺すことはいつでもできるなら、売り物にもならないような牛を、20年、飼う変な人間が、ひとりくらいいてもいいと思って。

ペットに牛を飼うのも、職業人として許されるか分からなかったけど、いいだろう、と。ひとりくらい。いいだろうって。

じぶんの知らぬまにいなくなったことは、それでもあまり哀しくないのです。ほっとした部分も少しあって。正直。

でも、会いにきたんだ、と。会いに来たんだと思ったら、涙が止まらず。いや止まってますけど。

人間の、自分勝手なセンチメンタルでロマンチストを掛けたような、ずぶずぶでろでろの思考だと分かりつつも、
最後に夢に出て来てくれるような関係だったのだと、何か、慰められたのです。

書いておこうと思った次第です。

ありがとう、といって終わらせる物語が嫌いです。
便利な言葉だからです。

ありがとうではない。決して。
ではなんだ?と思う。まだきちんと言い表せる言葉が思い付かない。

彼女がこれを考えることはないけれど、幸せだったろうか。

毎日お腹いっぱいになって、眠たくなって好きなだけ眠って、お腹が減って目覚めて。好きなだけ走って、休んで。たまにブラシをかけてもらって。
それが、君にはちゃんと幸福だっただろうか。

いや、最期はただ怖いなぁ嫌だなぁ何だ?何をされるんだ?と思いながら終わったんだろう、と思いますけれど。誰も食べられたくはないだろうなぁと思う。死にたくなかっただろう。たぶん。死にたくないというより、もっと快適な場所にただひたすら居たかっただろうな。

産業動物、という言葉を前にすると、何のために?という言葉がとても強く感じられます。

何のために人は生きているのか?という本がこの世には本当に腐る程あって、各々が自分のスタンスでその命題に答えを出している。のだろう、と思いつつも。

尊い、ということ。

私は本当にいつも、いつも、ずっとずっと永い間、与えられ続けていたのだ、と思います。
ずっと。

_

君がくれたものを覚えている
やさしさの輪郭 命の在り処

君がいる場所はどこかぼんやりと温かくて、やさしさはこういうところにあるんじゃないかと、思い当たった

尊いと口にするにはあまりにもありふれて擦り切れていた

与えられたんだろう
その命ごと、その時間ごと、
与えられていたんだろう、永い時間
君から その命のまま

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