君のせいで歌を歌った

半月ずれて巡ってくる季節のせいで
春に気付くのが遅れた

春だからってなんだっていうんだ
凍った土がゆるみ ぼんやりとした生命の気配に追い立てられる

このまま生命に押し出されどこまでもいって消えてしまえたら

自らと紐づく生命の多さと
自らをかき乱す生命と存在の煩わしさ
その間にある違いは
君の歌う歌のほんのわずかに外れた音みたいな ものなんだろうけど

ねぇ

野に緑が宿り花咲くと空は晴れていなくても晴れていそうだから
春が来るっていうのはそういうことだろう

そういう気配に生かされていることへの殺意

君のせいで僕も歌を歌った
何度も 同じ歌を


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季節が4つだというならその4通りを順番通りに過ごすのならそれは1通りっていうことなんだけれど季節とか時間というのは瞬間の重なりであったりして
そのことは何年生きても正直あまりピンとこない
は、と気づくとどうしようもない堆積が目の前にあることがあったりはするけれど

生き物が死ぬことばかり毎日考えている 仕事とか関係なく 私はそういう人間なんだと思う

誰と会っていても、あぁこの人は明日死ぬかもしれないんだったなぁともしかしたら失礼なことを思っている

自分もそうだけれど

私のそういう思考は死への恐怖の片鱗みたいなものなんだと認めざるおえないなぁ

生命に押し出されて死にそうだな、と思うのは夏ですけれども

この写真は一年くらい前の春の終わりだと思います

あいも変わらず他人と関わることとは?みたいなことをこねくりまわしているようでいてどうでもいい気がしてしまいたいして考えてもいないようにも思う。

人間とそれ以外という考えが便利だけど採用してもいい思考なのかいつも悩む

春がはじまりましたね

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