秋の花火

さよなら と何度か言った
本当にさいごのときには またねと言った

毎日が、残っていた余白を少しづつ塗りつぶして その色が存外美しい瞬間があって 
そのときスイッチがパチンと切れるように、夏が夜になってしまう

誰が余白を塗りつぶしているのだろうか 帷が降りるかのように
私だろうか 時間だろうか

秋だけれど冬の気配の方が強い夕べに 遠くで花火が上がっていた
夜も夏も遠くて 誰があげているのだろうかと思った こんなにかなしい気配の花を どうして まるで供えられるかのような花を

あなたも見ているだろうかと かすかに思った

さよならを言った
いつかどこか遠いところでたしかに言った
でも さいごのときはまたねと言った ただの偶然の中で 私はずっと手を振っている

花は供えない 

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秋の花火は夏の花火よりも、許すものが多いと思いませんか。
イレギュラーなものの方が、内包する余白が多いといえばいいのか。

時間が流れていて 私はただ毎日 後ろに歩かないように しがみついてその場でうずくまる体力しかない と思います
後ろに歩いていいのは私も知っていて、そういうことではなくて、私は失ったその瞬間から、一ミリでも動いたら、こぼれるようにさらに失わねばならないのだということが、嫌なのだと思う。

まだ、誰かに話そうと思うことはあるけれど、話したいとは思えなくて、話せません。
目が覚めたら泣いていたことがあって、私はそういうことがあまりなかったので、自分に驚いたりしています。

なんかメソメソぐずぐずしているように見えると思うのだけれど、毎日ご飯はおいしくて、毎日よく眠れています。

仕事で転勤することになって、
生きているというのは、常に引き剥がされるように歩まされることでもあるよな、とも思う
それに従うかは 心がどこにあるかは、また違うけれど

遅ればせながら、
あけましておめでとうございます。
ずっと見てくれている方、本当にありがとうございます。
わたしには、ずっとこの場所が必要なのだと思います。
今32歳です。16歳だった私は、ずっとここにはいないけど、たまにいます。

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