遮断機に託す

立ち尽くす
風も雪も雨も降らないで
両足は歩いているけれど
それでも立ち尽くしている

雪原

溶け出した透明が
ぼくの視界をさらに溶かす

明滅する孤独に ひとつづつ音立てる
何も聞こえないけれど

立ち尽くしている
ぼくの視界の隅で
ずっと向こう、霞んで見える

いくつもの孤独が 共振せず
ただ立ち尽くす


_
スーパーなどで野菜とか豆腐とかなんでもいいんだけれど、買うときにはなんともなしに消費期限をみて買う。
その消費期限が早かろうが遅かろうが私の購入の意志は削がれないんだけれど、その日付をみて、
うわっすごい未来だなっ
と思う

だいたい購入日より1週間先くらいの日付だと、とんでもない未来のような気がする。

そして冷蔵庫から出して食べようとして、また消費期限をみる
あーまだまだ期限まであるなぁ、と思いながら食べ始めて、ふと、その日付が昨日とかであることに気付いたり、なんなら当日だったりもする。

買った日の未来の感覚が強すぎるのか、そもそもそのときの未来の感覚が間違っていることが多くて、(2日後が1週間後くらいに脳が理解している)
そして今日が何日なのかもあいまいなのだ。

働いているときは毎日日付を記入するし、休みなら休みが待ち遠しいので何日休みだー!ってずっと思っているのに。

なんなんだろうか。

ところで猫を飼い始めたんですけど。
私は孤独だったわけでも、寂しかったわけでも、時間を持て余していたわけでもない。
強がりではなく、強がりだと思われてもいいから書いておきたい。

ではなぜ、という話になるかもしれないけれど、私の哺乳類への憧れというか、いきもの、に対する情念の源を紐解くのはあまりに億劫で、たいへんな作業なので、割愛したい。

とりあえず猫を飼った。

私が誰かと暮らしたりする、というか、四六時中だれかと一緒にいるのが苦手な人間だという自覚はあったのだけれど、猫に対しても、ひとりにしてほしい、と感じてしまって、なんだか苦笑してしまった。

そのとき、あぁ、私の中にたしかに孤独があったのだな、と思った。

生来の気質として、一人が好きで、時間なんてあればあるほどすることがあって、
「休日ひとりとか何するの?暇じゃない?」の意味だけは未だに感覚としても言葉としても理解できない。
寂しさみたいなものも埋めなければ!というほど特に感じなくて、相対的に、というよりは絶対的に一人暮らしが好きだったし向いていると思う。
過疎地暮らしも。

それでもひとりにしてほしい、と思うとき、思うとき?なのか?、に、
あぁ、私に孤独があったのだ、と、思い至って、何か大切なものを失くした気がしてしまっていて、猫を飼ってしまった、という気持ちがたまにやってくる。

何かを創る、ということには、孤独が必要だと、思っていたのかもしれない。な。信じていたのかも。

癒されたくない、というのか。

無くなって、気づく、とはまた違うのだと思う。
経過観察、孤独。


_

最近、スン、と思う
涙と鼻水をすする音だとわたしは思っていて

スン
_

猫、めっちゃ可愛いです

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