水槽飼育

君に触りたいという つよい欲

アクリルの向こう 君は歪んで沈んでいる
同じしくみの肺で呼吸をしているはず同じような血液で 君は生きているはず
なのに

わたしと、君と

共通の細胞は 同じような体温と同じような感触を作っている
似たようなところでしか わたしも君も生きていけないはずでしょう

おんなじ濃度の酸素でうごく おんなじ心臓

どうしようもなく正しいでしょう

君に触りたいという つよい欲

しゃくりあげるまで泣いた後にそれでも絞り出す言葉と酸素
みたいな 切実さで 君に触りたいんだよ それは 皮膚を溶かしてってこと

泣いてやる
ちがう生きものになるまでね

_

ちがう世界に住んでる、ってことではなく
同じだからこその絶望とか
ちがうか

私は水槽の中にかえりたい、と思うことがあります

そこから産まれたわけではないけど
陸で酸素を吸いながら、溺れるが怖いなとハッとしながら昔から生きていて

前世とかがあるなら、淡水で溺れて死んだのかなと思ったりします。
どうしようもなくある水辺への憧れと恐怖。
それは努力ではどうにもならない
生存可能な環境でないという敗北なのかな。

もやもやもやもやしながら生きてます
モヤッ
靄ってきれいな漢字だな。

夏の海岸

うつくしい、と思うことにぼくたちは慣れていて
それと同じくらい多くの言葉に慣れている

深海、沈黙、

静寂というのが無音ではないのと同じで ぼくたちは泣いている
海の冷たさに憧れながら そのぬるさに驚いたり 夕方には潮風を呪う

ぺた、ぺた、と歩くごとに
孤独ごと歩いている気がする
パチパチいう夜の街灯は 本当は優しくもない

深夜、瞑目

髪がなびく感覚をぼくは知らない
風の吹くことは知っているけれど

幾度、何度

うつくしい、と口にすることに
ぼくは躊躇わない
そういう嘘を 繰り返して

それでもきみの言葉が かけがえないのだと 伝えるために いきている

いきている

_

送りそびれたラブレターに意味はあるのか。ないのか。
知らん。

送りそびれたことも、送らなかったことも、送ったこともある。

受け取った人が決めることだけれど、
送る人が決めることでもある。

そして私はいつか死ぬから、送っておけ、と自分に言うようにしている。
自分にだけ。

遮断機に託す

立ち尽くす
風も雪も雨も降らないで
両足は歩いているけれど
それでも立ち尽くしている

雪原

溶け出した透明が
ぼくの視界をさらに溶かす

明滅する孤独に ひとつづつ音立てる
何も聞こえないけれど

立ち尽くしている
ぼくの視界の隅で
ずっと向こう、霞んで見える

いくつもの孤独が 共振せず
ただ立ち尽くす


_
スーパーなどで野菜とか豆腐とかなんでもいいんだけれど、買うときにはなんともなしに消費期限をみて買う。
その消費期限が早かろうが遅かろうが私の購入の意志は削がれないんだけれど、その日付をみて、
うわっすごい未来だなっ
と思う

だいたい購入日より1週間先くらいの日付だと、とんでもない未来のような気がする。

そして冷蔵庫から出して食べようとして、また消費期限をみる
あーまだまだ期限まであるなぁ、と思いながら食べ始めて、ふと、その日付が昨日とかであることに気付いたり、なんなら当日だったりもする。

買った日の未来の感覚が強すぎるのか、そもそもそのときの未来の感覚が間違っていることが多くて、(2日後が1週間後くらいに脳が理解している)
そして今日が何日なのかもあいまいなのだ。

働いているときは毎日日付を記入するし、休みなら休みが待ち遠しいので何日休みだー!ってずっと思っているのに。

なんなんだろうか。

ところで猫を飼い始めたんですけど。
私は孤独だったわけでも、寂しかったわけでも、時間を持て余していたわけでもない。
強がりではなく、強がりだと思われてもいいから書いておきたい。

ではなぜ、という話になるかもしれないけれど、私の哺乳類への憧れというか、いきもの、に対する情念の源を紐解くのはあまりに億劫で、たいへんな作業なので、割愛したい。

とりあえず猫を飼った。

私が誰かと暮らしたりする、というか、四六時中だれかと一緒にいるのが苦手な人間だという自覚はあったのだけれど、猫に対しても、ひとりにしてほしい、と感じてしまって、なんだか苦笑してしまった。

そのとき、あぁ、私の中にたしかに孤独があったのだな、と思った。

生来の気質として、一人が好きで、時間なんてあればあるほどすることがあって、
「休日ひとりとか何するの?暇じゃない?」の意味だけは未だに感覚としても言葉としても理解できない。
寂しさみたいなものも埋めなければ!というほど特に感じなくて、相対的に、というよりは絶対的に一人暮らしが好きだったし向いていると思う。
過疎地暮らしも。

それでもひとりにしてほしい、と思うとき、思うとき?なのか?、に、
あぁ、私に孤独があったのだ、と、思い至って、何か大切なものを失くした気がしてしまっていて、猫を飼ってしまった、という気持ちがたまにやってくる。

何かを創る、ということには、孤独が必要だと、思っていたのかもしれない。な。信じていたのかも。

癒されたくない、というのか。

無くなって、気づく、とはまた違うのだと思う。
経過観察、孤独。


_

最近、スン、と思う
涙と鼻水をすする音だとわたしは思っていて

スン
_

猫、めっちゃ可愛いです

ネイビー

どこから来たんだろう こんなにも冷たいものが
無言で打ち寄せているんだね

少し青い固まりに触れる

ネイビーのウールのコートの分厚さがすきだ
その袖口の そのフードの厚みから覗く手首と
首の温度が見るだけで分かるような気がする

世界の果てだね 海の向こうまで白いから
その向こうにはなんだか山が見えるけど

世界の果てだね

だって明日がこないような曇りだし
風だって冷たいし 雪で一面白いじゃない
このまま、ときどきしゃべる青くて綺麗な氷に侵略されて このまま

でも 春になっても そのネイビーのコートを着ていてね

_

あたたかいでしょう
世界は寒いから

_

北の大地に住んで早9年(もうすぐ人生の1/3になってしまうこわい…)
はじめて流氷を見に行きました 見に行ったというか たまたま視界に入ったくらいの雑さだったんですけど

流氷来すぎてもう海岸まで真っ白真っ白で
断面が少し青くて キレイで

キレイでした

とーおくまで白くて その向こうに海があって
あーこんな景色が側にあったら 人は死んだり生きたりしてしまうなぁ、と思いました

住んでいるところから100キロも離れていなくて車で2時間もかからなかった
不思議だなぁ

人生で海が側になかったので
海に多くのものを求めてしまいがちなんですけど

私はもっと現実感のない人間でいたかったんだろうな
霞とかを食べて 生活感のない そういうあこがれがあるんだろうな

うん

元気です

昔から分厚いネイビーのコートを着た背中をみるとなんか胸がぎゅっとなる病です

夕日

茜色の魔法を使う
あなたの指先がすきだった

まどろみの中で聞こえる声みたいな
遠くで聴けば ひどくやさしいのに
目覚めていればその冷たさに手を止めるような

そんな声で呪文を唱えて 指で空をなぞる

あなたの肩までしかない私の背では むこうの空が見えないんだ
いつも私には明日の空が見えていたのに
あなたの隣にいようとすると ずっと夕日の中にいるみたいに

ひたいに感じる肩の厚みを手離せないで

茜色の魔法を使う

私はずっと、あなたの肩越しにその赤をみている

_

その赤を、君は知っているけれど
私が見ることはない
君の魔法を見ることはない

_

「知ってました」

と言われたことがあって
もはや早朝のAM3時、
まだ月が銀色で、気温はマイナス10度とかで
足まで雪があって珍しくパウダースノーじゃなくて大粒の湿った雪が降っていた、夜から続く朝で

私は知らなかったなと思った
私は、知らなかったから知りたかった。

向き合って、お互いの目が合っていても、
その背のむこうの景色を、知ることができる相手と、そうでない相手がいるよなぁと
それを見えないから見ないまま、見せてもらえないまま生きていくことも、もちろん可能なんだけど

たぶんそれは寂しさと似ていて

その人の顔や声や動作や温度を知れても見えてもわかっても
その背の向こうの景色を知れるかどうかというのはその人との関係性に大きく関わるのではと 思うのだよなぁ

本当は私の身長は168cmだから
早朝で雪の、本当にどんよりとした鈍色の、すこし朝焼けをかんじる銀色の、お世辞にも綺麗だとは言えない、ただのグレーの空が見えていて、
でも、何にも分からないなって思ったんだよ なぁ
私はやっぱり 何も知りませんでしたよと 恨みがましく思うことがあるよ

そのとき、知ってました、と言われたときのわたしの気持ちというのが、本当に私の人生でも何番めかの、複雑な心境というやつで、
未だにあれが、怒りだったのか悲しみだったのか、諦めみたいなものだったのか、分からないんだよねぇ

全部だったのかな

最近は疲れたなとかそういう情動のレバーしか動かしていないから 思い返してしまったのだった

生きています

冬の毛皮の下

声ばかり覚えている

嘘だ
何も なにひとつ、覚えていない
声も手の感触も 髪の柔らかさも 背中の硬さも
髪の色も 睫毛の長さも 爪の形も こころも

言葉だけが 告げられもしない 諭されもしない
叱られも 慈しまれも 覚えられもしない
ただ受け取ってしまいこんだ言葉だけが

なにひとつ触れなかった

愛情も性欲も好奇心も同情も
たいていの気持ちをあなたに向けた

受け止められなかったものや
返されなかったものや 触れなかったものや
振り返られなかったものや 記憶に残らなかったものや

答えられたと思ったものの 全てがきっと反射で
空洞で 薄っぺらくもない 何もないもので

気味の悪いほど 純度の高い 空洞でできた もの

与えられなくても
応えられなくても
触れなくても

何度か何度も 無関係な朝ばかりがきて
終わらない

朝ばかりがきて
何もない私だけが残る

_

はじめて自分が哀れなのではと 思うに至る
もしかしたら

私のもつ、人に言われる母性なるものが
一体なんの役に立つのか。

過剰だし。

仕事に疲れています

自分の居場所、ということを考えてきたけど
能動的にこの土地はいやです。

ここに自分の人生のメインコミュニティを築くのはイヤ。という気持ちを明確にもつに至る。

仕事だから割り切ろう。

はてさて。はてさて。

何事にも感謝できないターン。

水中花火

走っていた

季節は夏で 半袖で 夜だから 肌寒くって
でもまとわりつく湿度で

ほとんど目を閉じて何も見ないようにして
走っていた

それでもまぶたのすき間から夜がどんどん入ってくる
走る速度で 泣いているのに

君がすきだ
君がすきだ
君がすきだ

過ぎたものはいつも尊い
何度も思うよ

足の指にサンダルの鼻緒が食い込んで痛い
とても痛い 生きていることの

海のない街に住んでいたから
私のセンチメンタルは公園と街灯にしかない


きれいだよ
きれいだよ
きれいだよ

何か運命と出会わなくても
泣いてよ

だれも 君を慰めやしないけれど


-

夏なんですね

好きな季節と言われるととくに無い。
たぶん聞かれたときによって変わる。

ただ北にきてから、
美しいのは冬だと、答えられる。

畏怖、というのか 雪は 本当に 美しいです

どこで何をして生きてもいいんだけれど

つれづれ

生きづらいなぁ、と思うことはたくさんあって

頷いてしまえば はしゃいでしまえば 酔ってしまえば それでまるくおさまって

わたしは殆どのことにイエスと言えるから
ずいぶん御しやすい人間だと思うけれど

それはなにが自分にとってどうでもよくて、何でもいいか、ということを決めていて

何があってもイエスと言わないことを固く、とても少ないけれど決めているからです

誰かが聞いていなくても 言ってはいけないことはあると思うからだ 適当に同意してはいけないことはあるから

ずぶすぶと 沼の中にでもいるかのような日々のこともあるけれど ふと 息つぎができる瞬間があるから なんか生きてるんだなぁと思います

海生哺乳類の呼吸がすきです
彼らは決して息苦しくはないんだろうけど

いつもどこかに自分の椅子を据えて、生活をするけれど、まだ、椅子をかかえたまま私が座り込んでいるだけで

どこかに椅子を置き、腰掛けることができない。

のだなぁと思う。

写真は北海道にある神の子池という池。
綺麗でした。
曇りでも雨でも青い。空の反射じゃないんだなぁ。

白夜

夜が始まるのも朝が来るのも同じくらい怖い

朝も夜も恐ろしい密度で部屋の角の角の方まで満ちてゆくから

夜は窓を塗りつぶし、朝はただ通り抜けて

エーテル、

光も、何もなくても満ちてゆけ

おそろしい速度で
おそろしい速度で生きてゆけ

_


密度に敵うのは速度か?

いい加減歯医者にいかないと死ぬ気がする。気をつけよう。

どれくらい痛ければ苦しければ不便であれば病なのか?病院に行くべきなのか?

気になるなら行け。早く。と自分では思う。

色んなことがあったような。なかったような。
今27歳なんですけど(25あたりから自分の年がよく分からないし親とか兄弟の年も曖昧だ)
やっと人生とは…?みたいなのを考えている気がする。いや違う。考えてはいない。いないのだが、取り組む角度が変わってきたかもしれない。自分の人生(便利な言葉だな)を私は操縦している気持ちが強くて、
でも行き過ぎた当事者意識はたいてい迷惑で邪魔で不快だ。

とりあえずいい加減?いい加減…?か?自分を諦めたりしているのかなぁ…どうかなぁ…
できることとできないことはあるけど諦めたくないから人生について考えているフリみたいな思考がでてくるのかな。

寝よう。
おやすみ。

キハチ

キハチのソフトクリーム。
浪人生時代に通っていた予備校の近くにキハチの店舗があって(今はもうない)
模試終わりとか、何にもない予備校帰りとかに一緒に予備校に行っていた子とよく食べていたなぁと思う

私の浪人生時代はキハチに色々救われていた。美味しい。

でもなくなってしまったのと進学した近くにはなくてもう何年も行けてなかったのだけれども羽田空港で見つけて、思わず入ってしまった。
はちみつレモンソーダフロート。すきだったの。

色々思い出したりした。
あんまり勉強はしてなかったけど、苦しかったけど、結果論的に必要な時間でした。
ナイフを研ぐような時間。